憧れのウェディングドレスは・・・

結婚準備に苦労した方は多いのではないでしょうか?

私もその一人です。

まずは披露宴、式場選びから招待状の送付、新居探し等々。

すべて義母が決めました、そう、私のウェディングドレスも・・・。

 

私達は身分相応の披露宴をと思い、都内の普通の結婚式場を予約しました。

しかし女手一つで息子二人を育てたと豪語する義母の意地と言うか見栄で、義母が勝手に芸能人が披露宴に使うようなホテルを予約し、止むを得ず二人で予約した式場はキャンセルしてしまったのです。

おまけに司会者は芸能人と言って、勝手に某コメディアン(S)に頼んでしまったのです。

そんなある日、そのような派手な披露宴を計画した義母から信じられない事を言われました。

「あのね~、結婚してからもいろいろとお金がかかるから、ウェディングドレスは私の妹が着た物を借りなさい」と言うのです。

”私の妹”って・・・?

義叔母は50歳を過ぎており、計算すると昭和50年代前半に結婚した事になると思うのですが、

当時のウェディングドレスといったら、詰め襟のようなスタンドカラーに長袖で、全身ヒダヒダのレースが主流だったような・・・。

その週末、夫と義母と一緒に義叔母の家に行きそのドレスを見た瞬間、息が止まりました。
予想通りでした。

 

しかも私の最も似合わないくすんだショッキングピンクで、それを着たら今すぐ林家パー子になれるドレスでした。

時は平成、デコルテを強調したデザインが主流になっている時代にはあり得ないものでした。

「着てごらん」と言われ、恐る恐る袖を通したのですが、もともと小柄で病弱な義叔母のサイズには到底合わず、背中のファスナーも二人掛りで閉めた程でした。

 

キャンドルサービスなんてやろうものならいっぺんに裂けそうなくらいピチピチで根本的に無理だと感じた私に、義母は「とっても似合うわよ、披露宴はこれにしなさい」と言い、夫も満足げな顔で見ていました。

”絶対おかしい!! この一族”

 

帰りの車中、私は一言も言葉が出ませんでした。

披露宴に出席した両親や親戚、友人は私の姿を見てどう思うのだろう、一生に一度しか着れないドレスなのに・・。

当時、まだ22歳の私は、まさに耐え難い現実をつきつけられたのでした。

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