殺される運命

ある時、いつものように泣き叫ぶ二女に乱暴なことをしていた夫を止めようと注意したところ、今度は私に対しての暴力に及んだのです。
以下、陳述書より
『原告は更に興奮し、台所で食器を洗っていた私の襟首を掴み、ガス台と冷蔵庫の隙間の壁に立った状態で私を押し付け、さらに私の着ているパジャマの襟元をぎりぎりとねじり上げながら首を締めてきたのです。
その時着用していたのが、乙1号証のパジャマです。
私が死を覚悟した時、原告の肩越しに子どもの姿が目に入りました。
当時2歳になろうとしている長女は頭から布団にもぐり込み、その中でまるくなっていました。二女はその横で仰向けになって泣き叫んでいました。
「私はこうやって死ぬ運命だったのか・・・」
首を絞められ意識が遠のく寸前に解放されると、激しい吐き気と過呼吸に襲われ、私はその場に倒れました。
しばらくして私の呼吸が正常に戻ると、原告は、反省した様子で詫びてきたのです。
ねじられたパジャマの襟は裂けていました。後にそれを見た時、私は血の気が引く思いでした。
この人は、ここまで私を痛めつけないと反省すら出来ないのかと絶望しました。』
このような暴力をうけ続ける中で、次第にもう限界かもしれないと思うようになりました。
しかし離婚なんてことになれば周囲から「忍耐が足りない」と批判をあびる事は目に見えていました。
当時まだDV法など存在しておらず、私にはいつか夫の暴力は無くなるであろう希望を捨てることなく、このまま子供のために暴力に耐えながら夫に依存して生きてゆく以外に選択肢がなかったのです。
そのような極限状態の生活を続ける中で、二人の幼子を残して死ぬことも出来ず、いつしか”自分なんかある朝突然消えてなくなっていればいい”と、毎日そのことばかり考えるようになりました。
それ以来、消滅願望は常に私の心の片隅で消えることはありませんでした。